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吉田兼好

吉田兼好、本名は卜部兼好(うらべかねよし)が生まれたのは、

弘安6年、1283年ごろといわれている。

あの元寇に始まり、南北朝の対立、健武中興(天皇みずから行う政治)、

足利尊氏が京へ攻めのぼり、戦乱に明け暮れた時代である。

このような時代に兼好は超然と生きた。

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今朝、隣の家の屋根に大きな鷺が・・・。

兼好は、ストレスに満ちた騒がしい、南北朝から戦国時代の


世情を蜂・蟻のごときと批判する。 


「蜂、蟻のごとく集まりて、東西に急ぎ、南北に走る。


高きあり、賤しきあり、老いたるあり、若きあり、


行く所あり、帰る家あり。夕に寝て、朝に起く。


いとなむ所何事ぞや、生をむさぼり、利を求めて止むときなし」

そして次のような意味の言葉を残している。

ひたすら忙しく生きて人生のなんたるかを忘れたり、

たた長寿だけを願って死を恐れ悲しむ人は、実に愚かである。

人生を全体としてながめることをしないで、いかに生きたらいいかについて、

何の思慮もめぐらせない。落ち着いて考えるゆとりがない。

考え、感じ、愉しむことのゆとりが大切である・・・と。

兼好といえば、徒然草である。

その冒頭でに次のくだりがある。

人間として生まれて、こうなりたいと願うことはたくさんある。

しかし、一番願わしいことは、「なまめかしくある」ということだ・・・。

なまめかしいとは、奥ゆかしいという意味と考えていいだろう。

なまめかしさは人生の美学でもある。

兼好はこの美学を持って自己教育した人である。

彼は愚かな人を「名誉に使われて、落ち着きがなく、無遠慮で、

口が軽く、自分を偉く見せ、自己顕示欲が強く、静かに過ごすことが出来ず、

一生を苦しんでいる」と説いている。

また、良き人とは、教養を身につけたいという向上心を持っている人で、

その身に付けた教養が「なまめかしく」外に現れている人であるという。

花を美しいと感じるのは、花はやがて咲くから美しく、やがて散るから美しい。

すべてのことは、はじめとおわりこそが趣が深い。

つまり、ものごとをつねに全体として眺めることができる人間を

「教養のある人である」ということを述べている。