吉田兼好
- 2011.11.8 | 自己実現/自己向上
吉田兼好、本名は卜部兼好(うらべかねよし)が生まれたのは、
弘安6年、1283年ごろといわれている。
あの元寇に始まり、南北朝の対立、健武中興(天皇みずから行う政治)、
足利尊氏が京へ攻めのぼり、戦乱に明け暮れた時代である。
このような時代に兼好は超然と生きた。
![ストレス学のエッセンス@美野田啓二 バランスセラピー学のすすめ](/admin/wp-content/uploads/2017/05/minoda/blog_import_5927f1bcb1b0e.jpg)
今朝、隣の家の屋根に大きな鷺が・・・。
兼好は、ストレスに満ちた騒がしい、南北朝から戦国時代の
世情を蜂・蟻のごときと批判する。
「蜂、蟻のごとく集まりて、東西に急ぎ、南北に走る。
高きあり、賤しきあり、老いたるあり、若きあり、
行く所あり、帰る家あり。夕に寝て、朝に起く。
いとなむ所何事ぞや、生をむさぼり、利を求めて止むときなし」
そして次のような意味の言葉を残している。
ひたすら忙しく生きて人生のなんたるかを忘れたり、
たた長寿だけを願って死を恐れ悲しむ人は、実に愚かである。
人生を全体としてながめることをしないで、いかに生きたらいいかについて、
何の思慮もめぐらせない。落ち着いて考えるゆとりがない。
考え、感じ、愉しむことのゆとりが大切である・・・と。
兼好といえば、徒然草である。
その冒頭でに次のくだりがある。
人間として生まれて、こうなりたいと願うことはたくさんある。
しかし、一番願わしいことは、「なまめかしくある」ということだ・・・。
なまめかしいとは、奥ゆかしいという意味と考えていいだろう。
なまめかしさは人生の美学でもある。
兼好はこの美学を持って自己教育した人である。
彼は愚かな人を「名誉に使われて、落ち着きがなく、無遠慮で、
口が軽く、自分を偉く見せ、自己顕示欲が強く、静かに過ごすことが出来ず、
一生を苦しんでいる」と説いている。
また、良き人とは、教養を身につけたいという向上心を持っている人で、
その身に付けた教養が「なまめかしく」外に現れている人であるという。
花を美しいと感じるのは、花はやがて咲くから美しく、やがて散るから美しい。
すべてのことは、はじめとおわりこそが趣が深い。
つまり、ものごとをつねに全体として眺めることができる人間を
「教養のある人である」ということを述べている。