実践的理解と生涯教育
- 2011.12.24 | 自己実現/自己向上
今日は今年最後の授業です。
寒くなりそうですが、授業は熱く!
さて、
先進国の教育制度は、「学校は教育の終わり」という
固定観念が根強く作られていて、その伝統にしがみついている。
発達心理学のピアジュは「子どもは大人の親だ」といい、
生涯教育の提唱者のラングランは「大人は子どもの相続人だ」と述べた。
われわれは子どもから大人になる。生涯教育の立場からは、
大人からの学習のために、まず、大人が子どものときに生涯の
学習について素養を持つことが必要である。
つまり、現在の義務教育の中に、生涯にわたって学習していくという理念、
あるいは、小中学校は生涯教育の一環としての捉え方が必要ではあるまいか。
生涯教育の理念はユネスコ国内委員会「社会教育の新しい動向」(1967)
やポールラングランの「生涯教育入門」(1970)の刊行を契機に
日本でも生涯教育に関する論議が盛んになっていった。
最初にこれに反応を示したのは、産業界であった(波多野1977)。
このためか、日本では生涯教育が職場内の再教育と混同された契機がある。
生涯教育論は、職場の再教育といった矮小化の方向と「生涯教育」を
「教育そのもの」とみて、これを極端に、
あるいは、教育とは区別して生涯教育の果たすべき現代社会に
おける役割を歪曲させてしまった。
われわれが義務教育で受ける知識の多くは、一定不変の知識であり、
その知識では、刻々と変化する自己や自己の周りとの関係をどう考え、
どう乗り換えるかという変化に対応することはできない。
とうてい変化する社会に適応することは困難である。
具体的な社会生活で必要な知識は、社会に適応していくための、
実践的理解である。
実践的理解こそ、生涯教育の核である。
※日本では1985年に生涯教育を生涯学習と用語の変更を行っている。