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脳幹的思考2

脳幹的思考は、知的理解では全く意味がありません。

知的理解とは、知っていることで自分自身がなんとなく出来ている、

分かっているという錯覚です。

繰り返しになりますが、「知る」だけでは、本当の意味を得ることができません。

例えば、小学生でも「成長」という言葉を知っています。

しかし、「成長」を理解しているわけではありません。

脳幹的思考をするためには、実践的理解が不可欠になります。

実践的理解とは、「取り組みながら分かる」「経験的にわかる」ということです。

では、どのような取り組み、経験が必要になるのでしょうか。

自分にとって、不快なもの、異質に感じるものに出くわした時に、私たちは、極端になります。

つまり、「戦うか、逃げるか」というストレス反応です。

釈尊は、極端なもの(欲望と苦行「自分を痛めつけること」)を否定しています。

それが「中道」ですが、

中道とは、あいまいでふらふらしていることではなく、

理性による極端さの否定です。

そういう意味で、中道を理解することは、自己受容の理解を深めてくれます。

つまり、中道も自己受容も人生においての究極の目標になります。

「極端でなく、偏らず、ありのまま」とは、上手なあきらめではなく、

限りない自己成長への意思が、偏りを制御してくれるともいえます。

おのれこそ、おのれのよるべ

おのれにおきて だれによるべし

よくととのえられし おのれこそ

まことえがたき よるべをぞえん

釈尊

仏道をならふといふは、



自己をならふ也。



自己をならふといふは、



自己をわするるなり。



自己をわするるといふは、



万法に証せらるるなり。



万法に証せらるるといふは、



自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。



道元



こので述べられている「法」とは、



善悪は時なり、



時は善悪にあらず

善悪は法なり、

法は善悪にあらず





つまり、極端でないこと。



まことに、正法眼蔵は読み手を選ぶ書です。