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西田の考え


西田 幾多郎(にしだたろう、1870617194567)は日本を代表する哲学者


京都大学教授名誉教授京都学派の創始者





西田哲学の特徴は西洋の思想にある二元論を否定しているところにある。

その特徴は、主観と客観の区別の否定、普遍と個の期別の否定、現実と理想の区別の否定といえる。そして、この思想は仏教の自他一如、心身一如の世界に通じる。また、西洋思想の有の文化に対して、東洋思想の無の文化についても、西田は根源的実在に対して、恒常不変な実体世界を否定し、根源的実在を対象的・超越的方向ではなく、対象化できない内の内なるものとして内在的方向に求めている。

彼は、この無の世界を有に対する相対的な無ではなく、あらゆる有を包み、あらゆる有を生み出す根源として、「絶対無」と呼んだ。ここに西田哲学の大きな意義がある。



西田哲学の無分別

西田が生涯をかけて探究したのは「自己とは何か」という問題である。具体的実在世界は、純粋経験の世界であると考えられたが、やがて純粋経験者の「自覚」の成果と考えられるようになり、さらなる自覚が形而上学的な顕現である弁証法的な歴史的世界であると考えられてきた。


西田は、「実在」である物体、身体と意識との関係について下記のように述べている。




「我々の身体もやはり自己の意識現象の一部にすぎない。意識が身体の中にあるのではなく、身体は反つて自己の意識の中にあるのである。神経中枢の刺激に意識現象が伴ふといふのは、一種の意識現象は必ず他の一種の意識現象に伴うて起るといふにすぎない。若し我々が直接に自己の脳中の現象を知り得るものとせば、所謂意識現象と脳中の刺戟との関係は、丁度耳には音と感ずる者が眼や手には糸の震動と感ずると同一であらう。我々は意識現象と物体現象と二種の経験的事実があるやうに考へて居るが、其実は唯一種あるのみである。即ち意識現象あるのみである。物体現象といふのは其中で各人に共通で不変的関係を有する者を抽象したのにすぎない」(善の研究) としている。



主観と客観の否定

 西田哲学の基本的な性格として、二元論的な思考の排除がある。一切の分別を超えた根本のところからあらゆるものを考えようとしている。西田は事物に主観と客観の要素があることを認める。

しかし、それら精神と物体とがそれぞれ独立した二つの存在でることを否定する。それらは唯一実在の二つの要素であり、側面であり、機能に他ならないとしている。西洋思想のデカルトの二元論、カントの認識理論は西田とは対立するものである。


普遍と個の区別の否定

 主観と客観を否定した西田は、普遍と個、多と一の二元論をも否定する。彼は個々の純粋経験の根底には、一種の普遍的な意識が存在すると考えた。個々の純粋経験は普遍的な意識の一要素もしくは発展段階であると考えている。意識と経験は統一的に連続していることを述べている。特に、注目すべき発想の大転換として、西田は自己の方からものを見るのではなく、世界の方からものを見ようとしていることである。

われわれは目に見えるものを実在と考えてしまうが、むしろ目に見えるものの奥底にある目に見えないものを根本的な実在と考えていた。













特に学生は通読を期待しています。

ここは、しばらくお付き合いください。

しかし、退屈になりそうなのは、筆者が一番分かります!

認知について、参考になる事柄を述べています。