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修証一如の幸福感

人は生まれながらにして幸福である。
人は幸福な存在であることは、
死を目前にしている人が気づくことである。
このことを道元の正法眼蔵の修証一如からひも解くと、
人生と幸福は一つである。幸福の上の人生だから、
生まれて間もない人生が、そのまま幸福そのもののである。
すでに人生が幸福だから、幸福に良し悪しはなく、
幸福の上の人生だから、幸福に始めはないとなる。
また、私たちは自分の能力の及ぶ範囲で
見たり聞いたりしている。
自分の見方こそ正しいのではない。
自分の認識する世界以外に様々な世界が
あることを知らなければならない。

「もしあなたの日常を貧しいと思うなら、
その日常ではなくあなた自身をこそ非難しなさい 。
あなたが立派な詩人でないために
日常の富に恵まれないのだと言い聞かせることです。」
「どうありたいのか、
まず自分自身に語り しかる後、
なすべきことをなせ。」 (リルケ)

釈尊は「誰の心も病んでいる」といい、
病んでいるからこそ、
人生で心を育てなくてはならないと説いている。
「幸福に生きる」ということは、
何かを成し遂げる、家族、健康、豊かさ、
快楽を目指すのではなく、
むしろ、こういったものが失われた時にこそ、
その人の幸福論の真価が問われることになる。