リラクセーションの意義
- 2011.03.2 | リラクセーション
今日は博多駅のプレオープンの日です。
通勤時の博多駅前混雑を予想していましたが、
予想外にスムーズでした。
駅ビル単体としては日本一の規模です。
このビルで働く人は6千人あまり、1日の利用客は
30万人が見込まれています。
BTUのビルは、博多駅から徒歩で7~8分のところです。
新博多駅を利用して通学する学生は、これから楽しみが増えますね!
過剰適応人間
トントン拍子で出世してきたビジネスマンが突然ひどい不眠症や下痢に見舞われる。食べられなくなり、会社に出勤できなくなる。
逆に休日になるとイライラが昂じて、「周期性不機嫌症」というウソのような病名で病院にかかったりします。
仮面うつ病も、うつ病がからだの不調として表れてくる典型なのです。
人間関係のトラブルで、煮えたぎる憎悪を自分でも気づかずに放置した場合、攻撃性が自分に向き始め、先端恐怖症になって鉛筆も持てなくなる例が少なくありません。
過剰適応とはつまり不適応のことですが、適応のための仮面が強く、外からは何も問題がないように見えることが深刻な問題なのです。
荘子は「自適」を説明していますが、「天・あるがまま」の自分を創造することは、実に厳しい訓練が必要であります。生半可な、「癒し」「ストレス解消」は殆ど無力なのです。
だから、リラクセーションなのです。
(こだわればリラクゼーションではありません)
リラクセーションとは、もちろん日常の状態ではない、寝ている状態でもなく、もちろん、ボーとしていることでもない。
(「ア~気持いい~」とも違うのです)
意識を身体に集中させ、身体を含めた自己を感じることです。
体即自、自即体。すなわち、自即他の世界観。
リラクセーションは、自己を統合する入り口でもあり、自己を成長させてくれる超自然な深遠な世界です。
アリストテレスは、
「一般に技術は、一方では自然がなしとげえないところの物事を完成させ、他方では自然のなすところを模倣する」としています。
技術すなわちリラクセーション状態を作り出す技術は自然の営みであり、自然の不完全な部分を完成させることになるのです。
そういう意味で、私はリラクセーションを自己成長と呼ぶのです。