自分探しと自己受容
- 2011.10.22 | 自己実現/自己向上
自己をはこびて、萬法を修証するを迷いとす。
…自己をならふなり。自己をならふというは、
自己をわするるなり,自己をわするるといふは、
萬法に証せらるるなり,萬法に証せらるるといふは、
自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
道元,正法眼蔵
道元は自分を知るためには、自分を忘れなさいという。
自分を忘れるとは、対立を捨てることである。
対立を捨てることは、否定を捨てること、
否定を捨てることは、怒りを捨てること、
怒りを捨てることは、戦うことと逃げることを捨てること、
すなわち、自己受容の本質である。
自己のあるべき姿とは「自己をわするるなり」。
つまり、無我になりきること。
これは、自分を捨て去ることではなく、
自分と他(他者)との対立を捨て去ること。
そうすることにより
「萬法(自然性,筆者)がすすみて自己を修証する」
新しい境地が開ける。
道元の言葉に修証一如があるが、実践の中に悟りがある、
実践そのものが自己探求の姿であるということを述べている。
実践中にモヤモヤするこころを大切にしょう!
無理してスッキリすることはないのである。
もうすぐ恒例のバルーン大会。
我がBTUチームの活躍が楽しみです。