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お知らせ

キルケゴール的生きかた。

今日の福岡は小雪が舞っていて1℃と寒い日です。

明日は東京校で、午前中の研修後に「真織さん」との対談です。


どんな内容になるのか?

楽しみです!




さて、キルケゴールは19世紀デンマークの哲学者。


彼は、個々の有限的な人間存在が直面するさまざまな否定性、葛藤、矛盾は、ヘーゲル的な抽象論において解決されるものではないとして、ヘーゲルとは対立した。実在主義者としての先駆けである。



キルケゴールの諦め


キルケゴールは、もし人間の中に永遠なる意識がなければ、「人生は絶望でなくてなんであろか」と述べている。


永遠なる意識とは、神の前に立つ人間の意識をあらわす言葉である。神は男と女、英雄と詩人、説教者を造られ、詩人や説教者は英雄にはなれないが、彼らは英雄と同じように幸せだと説く。

それは、賛嘆、追憶、追想によって成され、彼らは自己のものから何も取りだすことができないと厳しく批判している。


何も取り出せないものが、英雄を賛嘆して、英雄と同じように他者からの注目や誇りを得ているという指摘は鋭く、人間の自己中心的な愛を暴露している。




 また、「無限の諦めのなかには平和と安息がある」と彼はいう。



 キルケゴールは「無限の諦めは、信仰に先だつ最後の手段である」と説き、無限の諦めによって、私たちは私たち自身の永遠の価値を自覚することで、信仰が人間の幸福に結びつくことを述べている。


彼のいう「無限の諦め」とは、消極的な意味ではなく、われわれの知的理解の限界を諭す意味であり、親鸞がいう「意図や作為」の無力なことに対する自覚である。



つまりは、人間の不可能なことに対する悟性の働きが、平和と安息をもたらし、幸福を得ることになると彼は説く。



続く…