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お知らせ

ストレスケアと幸福論

関東では台風の影響で一部は復旧したものの、
いまだに停電が続いている地域があります。
早期の復旧を祈念します。

さて、今日の通信は「幸福」についての考察です。
ズーム研修などでも所々、お伝えしている内容です。
すべての「学び」哲学、心理学、数学、経済学、工学、物理学、・・・
は、人が幸福になるためのものです。
その幸福とは何かという課題は、学びの根本的な位置づけになります。
BTUが提言する「幸福」とは何か。

幸福論
「生活が豊かになれば、人間はより不幸になる。」最初からショッキングな話ですが、
その理由は「退屈」な時間が増えるからだとラッセルは述べています。
こうなれば、単純に豊かさを喜べません。
さて、先ほどの退屈についてですが、17世紀パスカルは退屈について、
次のように述べています。
「人間の不幸はどれも人間が部屋に閉じこもってじっとしていられないから起きている。
そのためにわざわざ自分で不幸を招いている」と。
確か、徒然草の吉田兼好も同じことを言っています。

人間は、忙しくしている間はある程度の充足感を味合うことができますが、
財産がはじめから与えられていれば、どうしようもない退屈に陥ってしまいます。
そうなると手当たり次第、思いつくままに試みて退屈をしのごうとします。
しかし、どんなことをしてみたところで、自己成長(精神的な発展)がないために、
退屈しのぎの目的で満足することはできないのです。
つまり、自己成長意欲がなければ移り変わる現実を
相手に退屈を味わうことになるのです。

退屈の反対は快楽ではなく興奮(ドーパミン・ストレスホルモン)です。
退屈している人間の求めていることは、
楽しいことではなく興奮することかもしれません。
ニーチェは、「退屈した人間は苦しみを欲する」と切れ味鋭く分析しています。
退屈ほど人間を苦しめるものはないのですが、
その退屈よりも人間は、負荷がかかる状態(ストレス状態)を選び、
生きていることを実感したいのです。衣食住が足りている現代人は、
何もしなくとも、何かに取り組んでも、なんだかわからない不幸に襲われてしまします。
ハイデッカーはこれを不自由のない生活に巣食う不幸だと説明しています。
確かに、ギャンブルなどは金銭が欲しいからではなく、
賭け事に興奮して不幸な状態から自分の思いをそらし、
気を紛らわせることができます。

自己成長
現代社会は無理なストレスの連続でできており、
苦痛のない状態のことを幸福としているに過ぎません。
だから、ストレス解消や幸福感を味会うために苦痛から
逃れるような享楽や快楽に走るのでしょう。
しかし、ショーペンハウアーは次のように語ります。
「人生の動機が幸福な生活にあることは、人間生来の迷妄である」と。
彼は人生の享楽を自己の外部に求めることを否定します。
それは、 財産や地位、妻子、友人などに幸福を求めると
それを失った時や幻滅した時に幸福がくずれさってしまうからです。
変わりに、精神的に優れた人は自分の内部にあるものに集中して、
哲学、芸術、文学などの自己の思想と作品を作ること、
人生の楽しみを自己の内部に求めることを説いています。

また、彼の最も注目したい言葉は、
「種類の如何を問わず自己の特技を何者にも
妨げられずに発揮できることこそ窮極の幸福である。

最高の幸福が自身の内部にある人間は、
自分の外部の享楽には無関心になるため孤独な生活になる」というものです。
もちろん、ここで述べられている孤独は寂しさとは違い、
自律した姿であることは言うまでもありません。

「幸福に生きる」ということは、何かを成し遂げる、
家族、健康、豊かさ、快楽を目指すのではなく、
こういったものが失われた時にこそ、
その人の幸福論の真価が問われることになります。