自己受容
- 2011.10.17 | 自己実現/自己向上
自己受容とは、「自分のありようをそのまま受け入れること」と心理学系の辞書にある。
また、自己受容は自尊意識に置き換えられることもある。
しかし、この意味を実践的に理解することは可能であろうか。
自己受容という言葉をカウンセリングに応用したのは、傾聴を提唱したロジャーズである。
彼は「価値ある人間として非難より、むしろ尊敬に値するものとして自分を知覚すること」
であり、「自分の基準を他人の態度や願望に基づいたものでなく、自分の経験に基づく
ものである」と定義している。
しかし、自己受容については、先行研究において共通した定義は見当たらない。
自己受容を考えるうえでの問題は、自分と他者の位置関係である。
自分側でもなく、他者側でもない、この両極から離れることが「ありのまま」の
状態である。 受容の立ち位置は、「極端でなく、偏らず、ありのまま」であり、
それを中道と述べたのは釈尊であった。
「ありのまま」とは、どちらつかず、宙ぶらりんといったなまぬるい態度ではなく、
独自の自主的な行動のことである。
自分が体験することへの消極的な回避ではなく、むしろ積極的な行動である。
したがって、自己受容には、正しい見解、自覚、言葉、行為、生活、努力、心、身体が
必要になる。
先行研究によれば、自己受容の可能な人は、豊かな自己理解、内面の安定性、
適度な自尊意識、他者尊重、円滑な人間関係をとることができるとしている。
しかし、ここで気をつけなければならないことがある。
それは、こうした自己受容の態度は、その人の日常の生活に対する満足度と関係していることである。
日常の生活への満足度が高ければ、周りへの脅威を感じることなく生活できるわけである。
つまり、生活の質が高ければ、それだけ自己を受け入れやすい環境になる。
こういった環境要因から得られた自己受容もどきには自律性がない。
自己受容は個人要因に起因する、自ら調整する作用を持ったものでなくてはならない。
そこで、自己受容の定義である。
「自分自身に起きる一切の体験に無駄なことはない」
「その体験には、自分自身の人生を成長させる意味や価値が含まれている」
人間本来の識別作用から離れる。自分の体験することに「良いも悪いもない」
自分の存在を唯一の存在とすれば、またその体験も唯一無二であり、
自分自身と分離することはできない。自分自身は体験であり、体験は即ち自分自身である。
「自即他」を知ることが、自己受容を知ることではなかろうか。