人間関係について
- 2011.03.5 | ストレスケア
福岡校の卒業試験です。
BTU福岡の館内は、今朝からピーンと張り詰めた
空気です。
しかし、夕刻ごろには、今朝の快晴のように
学生の晴れ晴れとした表情を見ることができるでしょう!!
さて、【人間関係】 について。
人間関係の悩みの多くは、自分と異なる他者を、自分の手の届くところに管理したり、支配したりしようとすることにあります。
自分と違うことが許せず、自分の思いどおりにしようとしてしまう。
(統合の失敗ですね)
自分と違う考えが存在することが、我慢ならない。そうすると、相互に理解し合おうとすることは、いつしか理解しえないものを排除し攻撃する言動となってしまい、相互理解には到達できません。
(不適応、ストレス反応です!)
そして、気付かないうちに、いつの間にか、愛であるはずのものは、相手を支配し拘束しあう、所有する愛となってしまう。自由でいるためには、真の意味で他者を理解することが必要です。
(所有する愛は渇愛となり苦しみます)
理解とは認知的な理解を超えた、感情的な理解であることは言うまでもありません。これを心理的接触といいます。
【触れ合う瞬間】
触れ合うことに結実するものが、愛(理解)ではないのかと思います。
「結実する」からには、「触れ合う」からには、離れていなくてはなりません。ある程度の距離感が必要なのです。
いつも、ともに過ごし、お互いが相手に合わせ自分を殺して我慢しているという状態では(抑圧)、共にいるように見えても、単に依存しあい、寂しさをまぎらわせているだけであって、心が触れ合うこともなく、愛とは呼べないと思います。
愛とは、それぞれの時間の流れのそれぞれの孤独な時間の中で形作るものなのです。
上下関係、従属関係ではなくて、対等なそれらが、互いに離れているからといって、見放しているわけではありません。
(♪♪「会えない時間が愛育てるのさ!♪♪)
距離を置くからといって、無関心でいるわけではないのです。互いに、見てないようで見てる。関心を向けている。そして、触れ合う瞬間を経験しようとするのです。
触れ合うこと(理解)は、手段ではなく、生きる目的そのものなのです。
ホメオストレッチとはそんな関係の中で育まれていくものなのです。