いわゆる自分を分析したり、


あるタイプに分けたりすること自体に


貧しさがあります。


自分自身を「タイプ」としてしか見れないから、


さらに自分がわからなくなるのです。


これらは、それなりに効能はあるでしょう。



しかし、その効能は知ることであり、


行動させることが目的ではないのです。



問題は、分析ではなく「自分自身と出会う」ことです。


自分自身が気付きをしなければ、


単なる「知」の領域にとどまっているのであり、


人間の存在は「知・情・意」の全体であるのですから、


頭で分かっていても「できる」ことにはならないのです。