人生をどう生きるかという問題は誰にとっても大きなテーマである。また、生まれる環境や親を自ら選択できない点から見れば、人生は配られているカードを使って、どうゲームを進めるかということでもある。


 ここで自分へ配られているカードを大いに気にするが、良い手札であれば必ずしもゲームに勝てるという保証もない。また、悪い手札であっても、引き寄せるカードの組み合わせによっては、十分に勝てることを知っておきたい。

 ところで、私たちの潜在意識の情報は、無意識の行動パターンの情報と言える。しかも、そのパターンは、あるフェーズ(局面)に対して、ほとんどオートマチックに検索され無意識に行動化されていると考えてよい。

 しかし、いったい、どれほどの行動情報を私たちは保有しているかというと、これは、自分が生きてきた人生の思考や体験ではなく、遺伝子的な情報を意味する。


例えば、自分から20代(約600年)さかのぼれば100万人の血縁者が存在している。さらに30代(約900年)さかのぼれば10億という集団が現れるのである。

このように情報を持つ遺伝子は死滅することなく、肉体細胞を移り住むことを繰り返している。


そして、遺伝子は間違いなく、ある「意思」を持って生きている。その意志とはリチャード・ドーキンスの説を借りれば、極めて利己的(自己中心的)である


しかし、個体レベルでの生存競争社会では、利己的な行動をとる個体より、あきらかに利他的な行動をとる個体が「うまく生きること」ができる。


もし、すべての個体が利他的に生きることができるとすれば、その個体の集団は大きく繁栄するであろうし、利己的な個体が一個でも現れれば、その個体は利他的な集団を思う存分に食い物にするであろうが、ジョン・メイナード・スミスとジョージ・プライスの研究では、これらの利己主義者による侵略は自然淘汰されると説いている。

つまり、遺伝子にある「利己的」なプログラムをコントロールして、人間の意志の力による利他的(他愛的)な行動をとることが、自分の人生を成長させ、社会に適応していくことになる。



利己的な私たちが、意図的に利他的な生き方をすることに自分という主体的な生き方があり、人生を創造する意味がある。