「自己批判」が問題になるのは、私たちの口癖が私たちの行動に結びつくからである。


「予測の自己成就」により、私たちは自分の発した言葉や考えていることを自ら体験してしまう。



山登りが好きな人と嫌いな人が一緒に山登りをした場合に、同じ体験をしたはずなのに、その受け止め方により味わう感情がそれぞれ全く違ったものになる。

仮に良い体験をしても、その人の前提となる認識が違えば、良い体験として受け止められなくなるのである。


自己批判をするとき、あるいは他者を批判するときは、自分自身が傷ついているとき、自己評価や自尊意識が低下しているときである。



自己評価が高く、自尊意識が高いとき、つまり、本当の意味でのプライドが高い人は決して他人の悪口を言ったりしないものである。自分自身の評価が高いので、他者に対しても同じように高い評価を与えることが出来るからである。

   

それでも、時々、私たちは愚痴を言いたくなったり、他者を悪く言いたくなったりするときがある。

そのときは、「自分自身が傷ついている、疲れている」と感じることである。そのうえで、自己評価を高める努力をしていく。




自己評価を高めるには、言葉について考えることである。良い言葉、きれいな言葉は、良い心、きれいな心につながる。そのような言葉を使うことで心を成長させる。


「人を害する力を持って、人を害しないことは最も優れたものである。」という言葉がある。私たちは悪い言葉を使うことが出来るが、その悪い言葉を使わないように注意することで、自己批判をコントロールすることが出来るのである。




「自己を正当化するということも自己批判に似ている。」自分の正しさは自分の合理性に過ぎないので、それは自分には使えるが他人には使えない。

私たちは強い自我の働きで、「自分は正しい、間違っていない」という機械的な反応をしてしまう。それは誰にでも起こるものなので、その自我の反応を否定するのではなくてコントロールすることが大切である。




自我の働きにより、「自分が正しい。間違っていない。」と思うと怒りが込み上げてくる。この怒りは本能なので抑えようがない。すみやかに怒りを静めることが重要である。



怒りを静めるには相手にも自分と同じ正しさがあると理解することである。

自分の正しさは自分には使えるが他人には使えない。


本当の意味で自分が正しければ、それを強く正当化する必要はない。自己を正当化するのは、そうしなければならない何らかの否定した問題があるからであり、「間違いを認めたくない」という側面が、強い自己の正当化につながっていく。



つまり、自己を正当化することも自己批判と似ている。自己を正当化しなければならない自覚は自己批判に裏付けされており、これは自己防衛反応である。強い自己防衛反応は自己統合を阻み、ひいては自己実現を阻む。



主観的で観念的な状態では外の世界が見えなくなる。自己統合とは正しい自分を知るときに自分の中に自分を見てはならないという意味であった。自分が見ているもの、聞いていること、その感受性こそ自分自身だというのである。花がきれいなのではなくて、その人の感受性が花をきれいだと捉えているのである。



つまり、私たちの内面と外の世界は連続しているのだが、強い自己正当化は自分と他の世界を遮断して自己統合を阻害する。


自分は正しい、間違っていない、相手が悪いと考えるのは自己正当化の極であり、自分には自信がない、何をやってもうまくいかないというのは自己批判の極である。



精神的な病気の場合、躁病は自己正当化の極であり、うつ病は自己批判の極であると考えられる。その極端な状態、偏った状態が病気の背景にある。


心理社会的な病理論としては、1つ目は、主体的な自己決定性が失われている。2つめは、自分にとっての人生の意味が創造できない。無計画に人生を生きてしまう。


運や偶然によって、自分の人生が開けると考えている人の多くは、その後、無気力になりやすい。あるいは、気分障害になりやすい。

第3番目の理由は「自己批判」である。この3つの理由をバランスセラピー理論では病気の背景にある要素だと考えている。