パーリ語聖典訳 中村元から抜粋



蛇の毒が身体のすみずみにひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制修行者は、この世とかの世をともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


走っても早すぎることなく、また遅れることもなく世間における一切のものは幻影であると知っている修行者は、この世とかの世をともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


悪い習性がいささかも存することなく、悪の根を抜き取った修行者は、この世とかの世をともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


この世に還り来る縁となる煩悩から生ずるものをいささかも持たない修行者はこの世とかの世をともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


ひとを生存に縛りつける原因となる迷妄から生じるものをいささかも持たない修行者は、この世とかの世をともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、サイの角のようにただ独り歩め。


もしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、あらゆる苦難に打ち勝ち、こころ喜び、気を落ち着かせて、彼とともに歩め。


我らは実に朋友を得る幸せを誉め称える。自分より勝れ、あるいは等しい朋友には親しみ近づくべきである。しかしこのような朋友を得ることが出来なければ、罪とがのない生活を楽しんでサイの角のようにただ独り歩め。


集会を楽しむだけの人には、解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔のことばをこころがけてサイの角のようにただ独り歩め。


義ならざるものを見て邪見解にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽って怠っている人に、みずから親しむな。サイの角のようにただ独り歩め。


慈しみと平静と哀れみと解脱と喜びを時に応じて修め、世間すべてに背くことなく、サイの角のようにただ独り歩め。


疑いを越え、苦悩を離れ、ニルヴァーナの安らぎを楽しみ、貪る執着の念をもたず、神々と世間とを導く人。このような人を『道による勝者』と覚者は説く。


この世で最高のものを最高のものであると知り、ここで法を説き判別する人、疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を修行者たちのうちで第二の『道を説く者』と呼ぶ。


みごとに説かれた理法にかなった真理である道に生き、みずからを制し、落ち着いて気をつけていて、とがのない言葉と行いを奉じている人を修行者たちのうちで第三の『道によって生きる者』と呼ぶ


善く誓戒を守っているふりをして、ずうずうしくて、家門を汚し、傲慢で、偽りをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、しかも、まじめそうにふるまう者彼は『道を汚す者』である。


栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。


理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。


悪い人を愛し、善い人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむこれは破滅への門である。


睡眠の癖あり、集会の楽しみの癖あり、奮闘することなく怠りなまけ、怒りの多い人がいる。これは破滅への門である。


おびただしい富みあり、黄金あり、食物ある人が布施もせず一人これらを貪るならば、これは破滅への門である。


怒りやすくて恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、彼を賎しい人であると知れ。


胎生でも卵生でも、この世で生きものを害し、生きものにたいする哀れみのない人、彼を賎しい人であると知れ。


悪事を行っておきながら「誰も私のことを知らないように」と望み隠し事をする人、彼を賎しい人であると知れ。


自分を誉め称え、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、彼を賎しい人生まれによって賎しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賎しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。


究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは次のとおりである。


能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がる事のない者であらねばならぬ。


足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の家で貪ることがない。


他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。


一切の生けとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。


いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでもことごとく長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生けとし生けるものは幸せであれ。


何ぴとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。


悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。


あたかも、母が己が独り子を命を賭けて守るように、そのように一切の生けとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。


また全世界に対して無量の慈しみのこころを起こすべし。


上に下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。


立ちつつも、歩みつつも、座しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみのこころづかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。


六つのものがあるとき世界が生起し、六つのものに対して親しみ愛し、世界は六つのものに執着しており、世界は六つのものになやまされている。(六つのもの=眼・耳・鼻・舌・身・意)


常に戒を身にたもち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、よく気をつけている人こそが渡りがたい激流を渡り得る。


人は真理によって激流を渡り、精進によって海を渡る。


勤勉によって苦しみを超え、智慧によって全く清らかとなる。


諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精進し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。


身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊、膀胱、心臓、肺臓、腎臓、脾臓あり、鼻汁、粘液、汗、脂肪、血、関節液、胆汁、油がある。


この世において智慧ある修行者は、覚者のことばを聞いて、このことを完全に了解する。何となれば彼らは、あるがままに見るからである。


かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身もかの死んだ身のごとくであろうと、内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。


あらゆる執着の場所を知り尽くして、いずれも欲することなく、貪りを離れ、欲のない聖者は作為によって求めることがない。彼は彼岸に達しているからである。


あらゆるものに打ち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる物事に汚されることなく、あらゆるものを捨て、無明が滅びて解脱した人、諸々の賢者は彼を聖者であると知る。


他人が誉めたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、諸々の賢者は彼を聖者であると知る。


枝のように真直ぐに安立し、諸々の悪い行為を嫌い、正と不正とをつまびらかに洞察している人、諸々の賢者は彼を聖者であると知る。


自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している彼は他人に悩まされることなく、また何ぴとも悩まさない。諸々の賢者は彼を聖者であると知る。


世間をよく理解して、最高の真理を見、激流を超え海を渡ったこのような人、束縛を破って、依存することなく煩悩の汚れのない人、諸々の賢者は彼を聖者であると知る。