人間生活は安定を求め、そして安定以上の安心を求めます。


さらに幸福体験を求め、限りない欲求のエネルギーを放出し続けています。



この欲求は人間社会を発展させるには都合が良いのですが、自然な営みをしている身体にとってはまことに不都合なものです。



つまり、自然性と人間社会は相反する、相克する関係にあるのでしょうか。


古来、哲学者は自然と人間の関係を明らかにしようと挑んできました。


しかし、その結果、機械論が代表するように、人間の都合のよい自然観が生まれ、遂に人間は自然を支配する、あるいはコントロールするという見解に至っています。



人間は自然に依拠しなければ生きることは不可能です。依拠するという意味は、それだけ環境の変化に右往左往するということにもなります。


それが本来の人間の進化の姿なのです。



右往左往する中で、あるいはその過程において、変化に適応しようとする働きは、なにも生物的なことに限らず、人間の精神性においても同じです。


しかし、人間の適応におけるプロセスを問題や障害として、生理的、心理社会的問題などの病理としているとすれば、その治癒に果たして人為的な解決法に妥当性があるのかははなはだ疑問になります。



もし、このプロセスにおける変化を「病気」として介入すれば、その対象の進化や適応力は喪失してしまうのです。


だから、これを対処療法と呼んでいるのです。


例えば、生物的進化において陸に上がろうとした魚に呼吸が苦しいからといって、酸素を誰かが与えればその魚はいつまでたっても危険な天敵がいる海からは逃れられなくなります。



では、人間生活にどう自然を取り入れればよいのでしょうか。


それには、自然の本質を理解しなければ人間生活には利用できません。


ただし、この本質とは、観察することよって知りえる自然科学的な規則性ではありません。



自然は「極端でなく、偏らず、ありのまま」の存在です。


つまり、無為。そこに当たり前のように作為がありません。


作為はありませんが、変化があります。


この変化こそが、自然の本質です。


確かに絶え間ない変化は、人間生活を苦しめるものでもあります。


しかし、変化を客観とせず、主観に置くことにより、この変化は人間の自然性を再活性させることにもなるのです。