今の科学は、マクロとミクロの世界をどう埋めるかが大きな課題です。


また、マクロの世界でもニュートン力学的な決定的な力学では片付かない問題があります。


それは、様々なパラメーター(媒介する変数)が存在することによって引き起こされる不確実性の問題になります。特に人間という不確実なファクターが介入する現象がそうなのです。


 私たちの取り巻く世界は不確実性に満ちています。今後、どれほど科学が進歩しても自然を解明することは不可能なことであります。


もちろん、これは自然に限ったことではなく、「人間」を解明することも同じです。だからこそ、科学者も哲学者も真理の探究を行ない続けているのです。


人間は哲学を避けることができません。哲学は人間の必然的な行動であるといえます。「哲学とは何か」という問いは、「人間とは何か」という問いと根源は同じです。



 人として生まれ人間として育つ中で、人として生まれた原因と結果は科学的な説明が可能であり、なぜ生まれたかという問いには科学は答えられません。


つまり、科学は現象を捉え、哲学はプロセス、あるいは時代を捉えることに活動していると考えることができます。


人間の思惟は、「なぜ生まれたのか」「なぜ生きるのか」「なぜ死ぬのか」という科学的根根拠よりも、「自己自身の存在」において強烈な確認欲求があります。


それゆえに「哲学」が諸学の学であるといわれているのです。



また、科学と哲学を比較することもあまり意味があることではありません。


確かに、科学は観察と説明、因果関係など諸現象を追究するものです。それゆえに、人間は誰しもより良く生きるための哲学者であることが望ましく、科学者である必要はないのです。


しかし、その哲学も科学によって進歩し得るものであり、哲学は科学によって変容していく相互関係があります。


つまり、科学と哲学は対立するものではなく、相互に共生することによって、人間の真理にアプローチすることが可能になると考えることができるのです。


人間の生存条件の安定と幸福のためという理念に基づき、過去の哲学を検証して、新しい時代を哲学することが不可欠なのです。