空海は三密の実践的様式を説いている。

すなわち、「身」「口」「意」である。

行法としての三密は悟りの境地を目指す宗教的実践である。

そして、生活の中で日常化された行為の展開を無相の三密行という。

すなわち、無相の三密行とは、社会的実践であるといえる。

空海は、この無相の三密行により理想的な世界を完成させようとした。

空海が社会的文化的活動を重視した所以である。

そして、空海の社会的文化的活動が、空海の生涯を形成していることに

空海への憧れを感じる。

ところで、この三密の「身」に徹したのが、只管打座の禅を説いた道元である。

「口」(念仏)、に徹した法然、日蓮。

親鸞は信心為本の「意」に徹している。

このように、彼らは「身・口・意」の一つに徹して独自性を開いたのである。

つまり、一密即三密、三密即一密を統合することで原理の確立がなされたのである。

この意味で、空海には普遍的な仏教(釈尊)の香りが強く漂う。