カントによれば、「ひとはけっして哲学そのものを学ぶことができず、高々哲学することを学ぶことができるだけ」と説いている。哲学的活動成立のためには多くの哲学者の思想に接することが必要であるが、それだけでは哲学的活動が成させているとはいえないのである。





哲学とは何か

「哲学」は西周がJ・S・ミルの「功利主義について」などに出てくる英語のphilosophyを「欧州の儒学」と解して「詩経」的な「哲王」「哲人」たらんとする希哲の学としてこれにまず「希哲学」の訳を与えて、「哲学」と簡略化したことに始まる。また、philosophy語源がphileo(愛する)またはphilia(友愛)sophia(智恵)を組み合わせたphilosophiaという古代ギリシャ語になり、「知恵を愛する」という意味の合成語であることも関係している。



哲学は意味づけや根拠づけをおこなう。すなわち、われわれはそれぞれ歴史的諸事実の蓄積だけに安住できないでいる。


なぜ、そうなったのか、なぜ、そうならざるをえないのかと、いわば全事実を前にして、その根拠や意味を問わざるを得ないのである。さらに、この「なぜ」という根拠や意味への問いを、実際に歴史的事実がこうだという単純な形で納得はできないのである。


なぜ、こうなったのかという「真理」の発見の体験がなければならない。「学問」という意味も、「自分が問うことを学ぶ(習う)」という哲学の基本が込められている。



人生を哲学しよう!


自分自身を哲学しよう!