二人の人間関係が心理的接触を持っていること。(互いに信頼しあう姿勢)

後に続く条件の前提条件であり、この条件を欠けば、残りの諸条件は意味がなくなる。





現実の体験を明確に意識しえない状態、それを自己不一致と呼ぶが、「その人が、自己の中にあるこのような不一致を意識していないときに、不安や混乱の可能性を持ちやすい」それゆえに、そうした人はクライアントとしてカウンセラーの前に現れるのである。

例えば、

「ある学生が試験について、自分の弱点が暴露されるかもしれないという恐怖感を抱いているとする。しかし、自己の弱点が暴露されるかもしれないという恐怖感を抱くという体験は、明らかに彼自身の自己概念と一致しないので、その恐怖は、学校の階段を登ることが恐ろしくなるという不合理な恐怖として意識されるようになる。」


カウンセラーとして統合されていること。

これはカウンセラー自身の問題である。カウンセラーが生活のあらゆる領域でカウンセラーらしく振舞う(自己一致)ことを求めるとすれば、おそらく無理であろう。あくまで、カウンセリング場面でのカウンセラーのあり方が重要なのである。カウンセリング場面に生起するカウンセラーの様々な感情(例えば、この相談者が恐いとか、自分の問題で頭がいっぱいで、相談者の話を落ち着いて聞けないなどを{べき}論から否定しないということであり、これを否定してしまうことは、自分自身も相談者も欺くことになり、そうした状態は自己一致から一番遠くなってしまうことになる。


カウンセラーは相談者に対して無条件の肯定的配慮を経験していること。

この解釈にはよく注意して欲しい。相談者の体験の側面を、その相談者の一部として暖かく受け入れしていることを体験しているならば、彼はそれだけ無条件の肯定的配慮を体験していることになるが、通常の人間関係は、たいてい条件付の愛にしかなりえない。例えば、親が子供に対する愛情を考えてみても、それは親の期待する方向に子供が成長するがゆえに親は子供を愛することができるという側面を否定することはできない。夫婦の間、師弟間での愛もしかりである。無条件というのは、このように「あなたがこうある場合にだけ、私はあなたが好きなのです」という限定をつけないということである。限定を付けるということは、所有的な愛する側の欲求を満足される愛情ともいえる。無条件とは、相談者を分離した人間として心を配ることであり、相談者自身に自分自身の感情を持ち、自分自身の体験を持つことを許すことである。



しかし、経験的な立場から、この条件を完璧に満たすことはありえないと思う。むしろ、こうした体験をカウンセラーが得る程度が多いほど、カウンセリングは実り大きいものになると言える。





カウンセラーは相談者の内的照合枠に感情移入的な(共感的な)理解を経験しており、そしてこの経験を相談者に伝達するように努めていること。

相談者の怒りや恐怖や混乱を、あたかも自分自身のものであるかのように感じとり、しかも自分自身の怒りや恐怖や混乱がその中に巻き込まれないようにすることである。


カウンセラーの感情移入的理解と無条件の肯定的配慮を相談者に伝達するということ

が、最低限達成されていること。

しかし、実際の面談時に、カウンセラーが相談者に関して体験している受容の気持ちと理解したところを伝達するという作業は、極めて困難なことである。




つまり、カウンセラーはつねに「場」の中にいることが大切であり、

自分自身を成長させようとする自覚が必要である。




世の中に、腕の立つカウンセラーなど存在しない。

カウンセラーは相談者によって、その役割を与えられるものであるからだ。

しかし、腕が立つのは、相談者側に存在する。

腕が立つ相談者とは、積極的に生きることを選択した人である。

あるいは、自分自身で問題を乗り越えようとする自律性が内在している人である。

カウンセラーは、ただ、相談者の内面に潜むこれらの可能性に期待するのである。




カウンセリングとは、相談者との相互交流に基づき、両者の心理的接触を前提にして、カウンセラーに対して、相談者自身が自己成長という役割を持ち、相談者に対し、カウンセラーは相談者の内面に存在している光を自分自身に映し出す役割のことである。

したがって、統合された世界において、カウンセリングの効果を持つものは、ヒトだけに限定されるものではない。それは、動物であれ、書籍であれ、映像であれ、相談者の光を引き出すものすべてであるといえる。


無条件の肯定的配慮を無作為におこなうことは至難の業であるが、動物は、ごく自然な態度で成し遂げてしまう。



この意味からも、相談者がカウンセリングを必要とする認識の程度が、カウンセリング効果に最も影響するものである。

求められていなければ、援助の手を差し出すことは難しい。



カウンセラーは常に問題について、どうすればいいのかを自分に問うが、実際は、相談者自身が自分に問うことが必要である。

そのためには、相談者自身が自分自身の論理的固執性を脱却しなければならないであろう。

これを可能にするものは、リラクセーション法(特定の実習法)である。

したがって、ストレスケアカウンセラーは、カウンセリングの目的でもある行動変容におけるリラクセーションの影響を重視しているのである。