釈尊、シッダルタゴータマが実在の人物であったと分かったのは、
1896年にインド人のフィラーがルンビニーで

BC3世紀のアショカ王の石碑を発見したことによる。


釈尊(釈迦牟尼世尊の略)の母親はマーヤー、

父親は釈迦族の王、シュッドーダナーであった。

マーヤーは釈迦を産んでまもなく没し、

父親は、マーヤーの妹のマハープラと再婚、異母兄弟ナンダが生まれる。

やがて、ナンダは、釈迦の最初の弟子となる。

釈尊は、紀元前463年の生まれとされている。
16歳でヤシューダラーと結婚、ラーフラを授かる。

29歳で王城を出て、6年間の苦行を経て35歳で悟りを得た。


ストレス学のエッセンス@美野田啓二
奈良国立博物館

悟りまでの禅定は7日間、その後49日間悟りの境地を深め愉しんだと伝えられている。

クシナガラで入滅したのは80歳であった。


釈迦は、当時のバラモンたちが共有していた

考えの中で生きてきたため、輪廻思想を述べてはいるが、

釈迦にとって最も重要だったのは、死後の世界ではなく、

今に生きる人間の心理社会的問題の実践的理解であり、具体的な解決だった。



悩みは執着によって起きることを説き、

それらは、認知と行動により解決するという常識的な教えを説いている。

このことから、釈迦は人類の歴史上において、

私が最も優れたカウンセラーであったと考えるのは、

釈尊が人々に行動変容を説いたからである。


従って、人生問題の実際的解決は、釈迦に帰依しなくても実践可能であり、

釈迦は超能力者でもなく、神のような存在でもなかった。

しかし、死後の釈迦は神格化されていく。


釈迦の骨が信仰の対象となり、

釈迦の言説とされる教典が信仰の対象へと変容していく。


釈迦が最も「注意せよ」と述べた執着へと人々は回帰した。

釈迦の偉業は、全く別のものとして今日に至っている。


私は空海にも憧れを感じる。空海は大日如来を真理そのものとして、

仏教のように久遠の修行を経なくとも、人はそのままで仏になれるという。

また、8世紀ごろの日本の教育は、貴族の子弟を対象にしたものしかなかったが、

庶民にも教育の門戸を開いた


空海が、日本で最初の私立の学校を運営したことはあまり知られていない。

しかし、このあらゆる学芸や学問を網羅する理想的な学校も

空海の入滅後わずか10年で存続が絶たれている。


まさに思うように運ばないのが世の常ではなかろうか。

しかし、ひとつの理念を懸命に貫いた釈尊と空海は

人々の心に生き続けていく。

釈尊と空海は、われわれに自己実現とは何かを、強烈に学ばせてくれる

存在であることは、間違いない。

そして、われわれは生涯にわたって成長できることの尊さに気づくのである。