今日は東京本校のスクーリング。

隣の教室から聞こえるのは、賑やかな笑い声です。


脳は「快」の時に記憶力が増加します。

皆さん、今日の実習はバッチリですね!




イマヌエル・カント(1724年―1804 )は、近代 において最も影響力の大きな哲学者 の一人である。認識論 における、いわゆるコペルニクス的転回 をもたらす。ドイツ観念論哲学の祖ともされる。



カントの徳と幸福 



次にカントは、徳と幸福を、その一方が他方を含むような性質としてではなく、むしろ最高善を構成するまったく異質な二つの要素として考えた。


カントによれば、徳は道徳的世界に属する概念であって、幸福は自然的世界に属する概念である。両者は全く異なった原因性によって支配されているがゆえに、徳と幸福とは必ずしも一致するとは限らない。


理性の本分は道徳法則の遵守であって、人間の目的が幸福を得るところにあるとするならば、我々は理性に従うよりも、むしろ本能に従ったほうがよりその目的を達成することができる。カントの考えでは、最高善は徳を最上善とし、これに幸福が付加されるという条件においてのみ実現されることになる。



「この世において最高善を実現することは、道徳的法則によって規定せられ得る意志の必然的対象である。このような意志においては、心意が道徳的法則に完全に一致することをもって、最高善の最上の条件としている」カント



 彼は、徳は道徳界、幸福は自然界に属している。そして、両世界は全く異なった法則により支配されているから、有徳な人が必ずしも幸福になれるわけではないと説く。また、不徳な人が必ずしも不幸になるとは限らないと続ける。むしろ有徳な人が有徳であるゆえに苦労しているのに対して、不徳なものが何ら良心の咎めなく安逸をむさぼっているのは、人生の否定できない事実であると結論づけている。




カントの道徳神学



 自由による原因性と自然による原因性との一致がどのような根拠に基づいているのであろうか。カントは、この異質な二つの原因性を結びつける手立てとして「神の存在」を提唱した。最高善の実現は人生の究極目標であり、道徳の究極理想であるから、可能的制約として神が存在しなければならないとした。神は世界の道徳的根拠である。神の存在は理論的理性にとっては仮説になるが、実践理性にとっては信仰である。




カントの幸福の概念 

 カントの幸福の概念から考えると、毒を仰いだソクラテスや十字架に架けられたキリストの生涯は有徳さゆえの幸せであることがいえる。確かに、スピノザのいう「心の満足」から考えれば、有徳な者は、自分自身の体験を昇華し、幸福感に変容させることは可能であろう。



 カントは次のように述べている。


 道徳は「どうしたら幸せになれるのか」ではなく、「どうしたら幸せに値するような人間になれるか」ということについての教えだといっている。カントは、財産や健康や身分などを「幸福の賜物」と呼んでいる。


しかし、それは人間の行いの是非によるものではなく、いわば偶然にあたえられたものと考えることができる。われわれの道徳行為と幸福は全くといっていいほど無関係であることを彼は主張している。