戦後の家族モデルは、「豊かな生活」が目標であった。ここでいう豊かさというのは、生活の豊かさである。収入を増やし、家や車、家電製品、高級な物品を手に入れることが、幸福感として認知されていた。



家族の資産は、愛が家族の倫理的共同体を構成する精神的原理とすれば、家族の現実的生活を支える物質的基盤である。愛を抜きにして家族という倫理的生活圏があり得ないのと同様に、家族の資産という支柱がなければ家族生活の現実的な営みはあり得ない。


「…彼(夫)にはとくに外に出て所得を手に入れ、家族のもろもろの欲求に配慮し、なおまた家族資産を配分し管理する役目がある。」



確かに、家族を維持するためには経済的基盤は重要である。しかし、それだけで家族が維持されるわけではない。


現代人はいつの日からか、幸福と成功を同じように捉えてきた。私たちは、資本主義社会の中で、まるで成功することが幸福につながるかのように伝え教えられてきている。


 しかし、幸福と成功は全く別のものであることに気づかねばならない。成功は過程であるに対して、幸福は人格性である。幸福は運や偶然性、地位や収入によって得られるものではない。


ヘーゲルのいう家族には、この人格性を育て、幸福を目指すための人間自身が生涯にわたって発達していくという能動的な態度がある。そして、その実現のために家族という愛で結ばれた絆を中心においている。


 人間は、反社会的でも平均以上に人格が統合される。しかし、その統合は排除による統合である場合が多い。ありのままの現実に対処するには、人格が矛盾や対立を多く抱えて弱いので、狭い範囲に限定して自己を統合し、それに応じた、現実の限られた部分にのみ対応しようする。


人格のある諸要素を抑圧して、狭い範囲でまとめると、統合力はある意味で強くなる。さらに、行動に一貫性が生まれる。しかし、適応できる現実の範囲もそれに比例して狭くなり、それが社会に対して閉塞感を持つようになる。


こうなれば、ヘーゲルがいうように、他の人々と関連することなくしては、おのれの諸目的の全範囲を達成することはできずに、市民社会での不適応を起こしてしまう。ヘーゲルは、この矛盾を克服するためには、精神の運動が必要であり、それが人間の労働(教養)であるとして位置付けている。


成功は、運や偶然によっても得られることがあるが、幸福に運や偶然はない。幸福に必要な労働は、ヘーゲルが述べているように「教養」である。