先進国の教育制度は、「学校は教育の終わり」という固定観念が根強く作られていて、その伝統にしがみついている。


 発達心理学のピアジュは「子どもは大人の親だ」といい、生涯教育の提唱者のラングランは「大人は子どもの相続人だ」と述べた。


われわれは子どもから大人になる。生涯教育の立場からは、大人からの学習のために、まず、大人が子どものときに生涯の学習について素養を持つことが必要である。つまり、現在の義務教育の中に、生涯にわたって学習していくという理念、あるいは、小中学校は生涯教育の一環としての捉え方が必要ではあるまいか。



 生涯教育の理念はユネスコ国内委員会「社会教育の新しい動向」(1967)やポールラングランの「生涯教育入門」(1970)の刊行を契機に日本でも生涯教育に関する論議が盛んになっていった。これに反応を示したのは、産業界であった(波多野1977)。


このためか、日本では生涯教育が職場内の再教育と混同された契機がある。生涯教育論は、職場の再教育といった矮小化の方向と「生涯教育」を「教育そのもの」とみて、これを極端に、あるいは、教育とは区別して生涯教育の果たすべき現代社会における役割を歪曲させてしまった。



 われわれが義務教育で受ける知識の多くは、一定不変の知識であり、その知識をもって、刻々と変化する自己や自己の周りとの関係をどう考え、どう乗り換えるかという実践的理解、あるいは、自己成長的なものではない。


具体的な社会生活で必要な知識は、社会に適応していくための、実践的理解である。


※不可解な事に、日本では1985年に生涯教育を生涯学習と用語の変更を行っている。