1990年代から、若者の間で「自分の好きなことをすることがいいことだ」という意識が浸透し始めている。


これを自己実現と呼ぶことがあるが、自己実現とは「自分の人生を高みに到らせるプロセス」であるので、自己実現を上手な「あきらめ」に使用しているということになる。


久木元(2003)は、フリーターの言語分析によって、若者がいつまでも見つけられない「好きな仕事」という罠に陥っていると指摘している。また、若者の自分らしさが、何の役割も持ちたくない、つまり、どんな役割も自分らしくないという形で拒否し、「楽」であることを肯定するために「自分らしさ」という言葉を使用している(三浦2004)。



けっきょく、若者は「自分らしさ」という幻想を肥大化させているのではなかろうか。しかし、それは、社会情勢から追い込まれた結果であるかもしれない。


 若者の新しい価値観は、「好きな仕事をする」「好きな相手と結婚する」「好きな趣味を楽しみ、情緒的にも豊かに生活する」というライフスタイルを追求することであるが、これは、逆にいえば、「気に入らないことはしない」「妥協して結婚しない」「不快なことには向き合わない」という意識となって、社会全体にも影響を及ぼしていく。


 このような価値観は、一見魅力的であるが、どれだけの人間がこのライフスタイルを実現できるであろうか。



もし、実現できるとしても、ごく限られた少数の人間である。運よく、仕事や外見、性格的魅力に恵まれた生活上位者のみが可能であり、従来の家族モデルから外れた若者にとっては、実現不能なモデルである。あるいは、このモデル自体が望ましいモデルなのか。



われわれは、改めてこれまでの物質、量的獲得から方向転換し、人生の質や人格の獲得を目指さなければならないであろう。