少子高齢化の原因は、子育てが大変だからということを聞くが、子育ては、行動成長期以前が苦労は大きいことは明らかである。狭いアパートで、紙おむつもなく、夫の使命は、家族の豊かさの追求であるから、夫は子育てにはほとんど非協力的である。その中で、今より多い、二人、三人、四人と子どもを育てていたのである。



この苦労に耐えられたのは、何故であろうか。それは、子どもが親以上の学歴をつけて、男子の場合は、父親以上に収入がある職に就くこと、女子の場合は父親以上の収入がある人と結婚して、親以上の豊かな生活を送れるという希望があったからである。つまり、子どもの出世、ランクアップを目指したのである。


親が子どもに望んだ学歴志向は、親が子どもに尽くしているという愛情の象徴であったに違いない。


 経済の低成長時代は、子どもが親以上の豊かな生活を送るという、子育ての目的や前提を壊していく。高度成長期は、親と比較して子どもの学生の上昇期であった。


親の学歴が総じて高くなり、相対的な学歴上昇に限界が見え始めると、親子関係に歪が見えはじめる。


 すでに高学歴の親が、豊かさの象徴として子どもに親以上の学歴を求める。一方で、子どもをめぐる「ゆとり教育」など教育環境は、なかなかそれを許さない。このような社会と家族のギャップが生まれたのが1975年付近である。


結果的に、親の子どもに豊かな生活を送らせたいという学歴志向が親の愛情となり、親の期待に応えて、高学歴をつけることが子どもの親への愛情という親子間の愛情確認の方法が崩壊していく。このような形で、様々な親子関係の不満が露呈し、事件や問題行動が顕在化している。


 育児不安もこのころから一般化していく。高学歴の専業主婦に育児不安を感じる割合が多いことも知られている(牧野2008)。この背景には、自分や夫より、高学歴者に育てられるかという不安があるからである。


 もちろん、子ども側のプレッシャーも親の不安と同様に増大していく。子どもにしてみれば、親以上の学歴をつけるという子どもの愛情表現が困難になっている。


高度成長期を経て、豊かな生活を送れるようになった一方で、より豊かさを求めて、子どのへの期待値は増加し、それを実現できる社会情勢はすでに過去のものとなり、経済情勢も後退しているのである。