はじめに


311日に発生した未曽有の大震災は世界中に衝撃を与えた。津波による被害は過去の経験から得た予測が全くといってよいほど役に立たなかった。そして、過去の経験則は未来の備えにはならないことを改めて痛感した。


この災害で私たちは何を学び、今後どのような生きかたを考えていけばよいのだろうか。本来、自然に立ち向かうことが可能であろうか。自然をコントロールすることが、人類にとって安寧な生存条件を確保することになるのであろうか。




効率という魔力


今回の災害は、大地震と大津波津、そして放射能汚染の恐怖である。極めて効率的であった原子力の電力供給源が、われわれに対して牙をむき出しにしている。東京電力の見解によると原子炉1基の発電量は、山手線の内側面積をソーラーパネルにするのと匹敵する電力を生み出し、これが大型の風力発電機であれば、なんと原子炉1基で大型風車4千基に相当するとしている。


自然エネルギーを活用させる発電力は、原子力に比較すると極めて効率が悪い。しかし、われわれは、この効率という魔力に頼って生活していることを忘れてはならない。そして、便利なものは人を傷つけることを再認識して、この魔力との決別をしなければならないであろう。

アリストテレスは、国家の根底にはより高次の究極的価値が存在し、これらの価値を達成するためには単なる人間的手段では不適格であると述べている。これまでの西洋的理念に挑戦しなければならない私たちは自然から学ばねばならない大切なことを効率という魔力によって捨てたのである。

未来に向けての指針


中国は過去10年間で電力消費を倍増しながら大量消費を続けている。わが国の電力消費量もこの10年間で130%増加している。さらに、少子高齢化と人口減少の過程にも関わらず、今後10年間で114%の電力消費増を見込んでいる。しかも、その内容は、原子力への依存が高まっているのである。


今回の震災で、私たちは原子力とは決して共存できないことを改めて知った。この体験を単に知的理解で乗り越えようとするならば、次の世代を待たずして人類は壊滅的な被害を受けることになるかもしれない。さらに、次の世代にそのようなリスクを残してはならない。私たちがしなければならないことは、今を生きる人間の幸福のみ考えるのではなく、未来に生きる人々の幸福を考えることである。それが、現代に生きる私たちの自覚であり使命ではなかろうか。



自然との共存


人間の予測は、人間の欲求を満たすことが前提にあるために、常に合理的且つ楽観的である。リスク管理の想定範囲は、人間の欲求を実行できる想定内に設定されている。想定外のことが未曽有なのである。自然をコントロールできるという誤ったビリーフが、今回の災害の規模を拡大させてしまった。


人間が自然を支配できるという慢心を捨て、謙虚に自然から学ぶことである。少なくとも想定外を想定することである。そして、地震の頻発する国に生きる者として、自然と共に生きていく覚悟を定めたい。


新生へ向けて


大きな不幸に見舞われた国には、大きな慈愛が生まれる。はかりしれない失意や痛みを経験した国は、新生させる機会を得ることができる。政治の世界で語られている「最小不幸社会の実現」というような幸せとか不幸とか自己愛的なことを述べる前に、切に希望と勇気を持って次世代に対して誇れる行動を具体的に実践していくことである。


今、必要なことは、冷静な状況把握とそれに基づく危機意識である。そして、危機意識を未来への展望に向け、実践的な意欲へと転化させていくことである。

おわりに

未曽有の災害において「なぜ」という問いは、人間は「どう生きればよいか」という問題に直面している。そして、必然的に人間はより良く行きたいという欲求と意志を持つ。より良く生きるということは自己の個性や本能的欲求をコントロールすることでもある。


人間は、より良く生きる指針として、知的欲求に基づいた科学技術を開花させてきたが、真の自然科学とは、自然と人間との関わりを深く考察することに他ならない。



被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。