私たちはいつのころからか、「成功」と「幸福」を

並べて考えるようになりました。

「成功すれば幸せになれる」と。

その結果、多くの人は、挫折や失意の中で、

幸福を語らないようになり、

幸福から離れていったように思います。

 

「成功する人物の七つの習慣」は、1990年に初版が発行され、

日本でも大変話題になりました。この著者のコビィは、

1776年以降アメリカで出版された「成功」に

関する文献の共通点は「人格」であったと説明し

、次の50年間は「イメージやテクニック」

(態度・行動・人間関係)などの対処的な方法だと述べています。

 

そして、彼は真の成功のためには深いレベルでの

「誠実さと廉潔」を説きます。

近代成功哲学の原点となっているジェームスアレンは、

1902年に書いた「原因と結果の法則」の中に、

「自分こそが自分の人生の創り手である」。

結果としての失敗も成功も、その原因は「心の働き」

次第だと述べています。

 

しかし、1700年代後半に近代哲学、

人間学の巨人として知られているカントは、

「成功は偶然の賜物であり、

有徳な人が必ずしも幸福になれるわけではない。

また、不徳な人が必ずしも不幸になるとは限らない」と

哲学者らしく手厳しいことを述べています。

「むしろ有徳な人が有徳であるゆえに苦労しているのに対して、

不徳なものが何ら良心の咎めなく安逸をむさぼっているのは、

人生の否定できない事実である」と結論づけ、

人生の目的が成功を得るところにあるとするならば、

私たちは理性に従うよりも、むしろ本能に従ったほうが

よりその目的を達成することができると、

現代の成功法の矛盾や無力さを言い当てています。

 

老子は、人間の計らいがすべての問題の根源であり、

計らいを捨て去り、自然に任せる生き方を述べていますが

、解釈を間違うと「ありのまま」を

取り違えている人がいるように、

何もしないほうが良いと勘違いされてしまいます。

 

未来は、どう変わるか分かりません。

そして、将来に役立つ内容も次々と変化していきます。

変わらぬことはただ一つ。

変化し続ける社会に対して、

人生で起きる様々な問題を乗り越えていくことのできる

脳幹力(適応力)と自己受容力を養っていくことです。

 

過度なストレスは、一人ひとりの自尊意識を奪い、

「出来ない」「無理」「あきらめ」など暗雲と

したことばかりが目立ち始めます。

お互いを否定することになり、

欲求不満やイライラの対象になってしまいます。

脳幹力を活性化させ、自己受容力を高めることで、

自分や他人を責めるという負のエネルギーを使わなくなり、

問題の危機からの立ち上がりが早まり、

未来への推進力も強化されていきます。

 

現代に生きる私たちは、自分に都合のよいことは受け入れ、

そうでないものは、排除していく傾向が強くなっています。

そして、この傾向は人間社会をますます複雑にしています。

このような、分別、作為やはからいを除き、

成否に囚われることなく、「いま、ここ、自己」を

関わりの中心に据えて、

自身が自然の一部であることを自覚的に信頼することで、

望ましい生き方ができることを伝えて行きたいと思います。

 

 

 

大切なことは「できている」「できていない」

の分析や評価ではありません。

何かを得ようとした身心は緊張を始めています。

また、そのように求めたからといって

自分の思いどおりにもなりません。

そればかりか頑張りすぎて疲労している身心をさらに

疲労させてしまうことにもなりかねないのです。

 

つまり、「修」という道のりのはてに「証」があるのではなく、

「修」の一歩一歩の積み重ねではなく、

そのまま本来の「証」の全体であり、

重ねて言えば、証は修の先にあるのではなく、

修の結果として予定された到達点でもありません。

「証」は本来のものでありながら、

「修」の歩みを通じてしか現存せず、

その一歩一歩の歩みのうえに絶えず

実現され続けなければならないものです。